残間通信[釣り・自然・旅・人]

世界65カ国を駆け回ったフォトジャーナリスト残間正之の「釣り」「70年代の貧乏旅行」「辺境地の暮らし」「アンデスの遺跡」など、気ままなフォトエッセー。

認め合おう

アフガンの少年

1977年冬
アフガニスタン

アフガンバザール

様々な人がいて、
様々な暮らしがある。

価値観なんてひとそれぞれ。

アフガン兵

宗教、政治、民族の歴史、伝統、習慣……違ってもいいじゃない。
もう犠牲はたくさん。
認め合おうよ。
  1. 2008/08/29(金) 10:08:37|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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y=ax

ボスボラス海峡アジ釣り

y=ax
5年ほど前に話題になった養老孟司氏の「バカの壁」(新潮新書)を読んだ。
「x」という五感を通した入力情報に「a」という係数、つまり人それぞれの思考や現実的状況をかけて「y」という行動(出力)をもたらす……。
ま、簡単にいえば、人には最初っから「バカの壁」があって、どんなに説明しても理解できない人には理解できない……ということなのだけれど、これが実に面白い。

考えてみれば、このブログを「x」とすれば、これを目にした人は「a」という自分なりの係数をかけて、「つまらない」とか、「面白い」とか、はたまた「興味がない」……といった答え「y」に到達する。
そもそも「y=ax」などという方程式を目にした瞬間、これって「関係ない」なんて具合に「バカの壁」に突き当たった人もいるかもしれない。そうなると、そこから先の文章なんて何の意味もなさないことになる……。

なにはともあれ、写真も入力情報「x」のひとつ。
イスタンブールのアジアとヨーロッパを隔てるボスボラス海峡に浮かぶ釣り人からどんな「y」を導き出すか……
  1. 2008/07/16(水) 12:03:58|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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オールドデリー1976年

オールドデリー

1976年2月……当時のインドと言えば「混沌」と「貧困」が代名詞だった。
路上には赤子を抱いた物乞いの人たちが溢れ、いたるところから「サーブ・パイサ、バクシーシ」と哀れみを誘う声がまとわりついてきた。
その一方で、英語を得意げに話す特権階級は最新ファッションに身を包み、路上生活者などまるで視界に入らぬかのように街中を闊歩していた。

当時はカースト制度やジャーティによる差別や貧富の差があからさまだった。
(カースト制度=古くからの身分制度でバラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)、アウトカースト(不可触民)に区分されている)
(ジャーティ=職業的身分制度とも言えるもので、2000〜3000の職業的な世襲制度で結婚も制限されている)

カルカッタ

ここ15年ほどインドにはご無沙汰。
今ではGDP伸び率が9パーセントに達しているそうだが、失礼ながらボクにはあの国がたかだた20年や30年で変わるとは思えない。
その昔、ニコンF片手に歩き回った裏路地を再訪してみたいものだ……。
  1. 2008/06/02(月) 11:18:04|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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おおらかな時代

イスタンブール

あのころは1日1ドル(当時は360円)で旅ができた。
移動は窓ガラスが外れそうなオンボロバス……
泊まりは見知らぬ貧乏旅行者と一緒の木賃宿……
食事は蠅を追い払いながらの屋台……

ポケットにはパスポートと1年間オープンの航空券。
ただただ、カメラ片手に路地裏をぶらついた。
明日の予定なんて、ナニも決めてなかった。
毎日が行き当たりばったり。
でも、不思議と不安や空腹を感じなかった……。

アジアとヨーロッパの交差点イスタンブール。
ボスボラス海峡に架かるガラタ橋からアジを釣り、わずかな旅費を稼いだ……。
あれから三十数年。
海外旅行も身近になり、どこに行こうが携帯電話だって繋がる。
けれど、旅先での偶然や驚き、そして地元との触れ合いが減っているような気がする。
考えてみれば、貧乏旅行者にとってはおおらかな時代だった……。
  1. 2008/04/17(木) 14:18:56|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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ペシャワールの露天市場

ペシャワールのバザール

このところアフガニスタンとパキスタンの国境付近がきな臭い。
今月17日にも、ペシャワルのシーア派モスクで爆弾テロがあり12人が死傷した。

この写真は30年ほど前、ペシャワールのバザールで撮影したスナップショット。
当時、派閥争いを繰り返すアフガンゲリラの拠点が数カ所あり、ボクもジャーナリストの端くれとして取材をこころみた……。

……今、当時の写真はごくわずかしか残っていない。
雑誌に売り込むため、某編集プロダクションに渡したのだけれど、悲しいかな、その直後に担当者が雲隠れ。
雑誌に掲載されるどころか、フィルムそのものも消えてしまった……。

思えば、貴重な写真の多くが手元から消えている。
今の時代なら、デジタルなので簡単にコピー可能だが、当時はアナログなのでコピーには手間暇がかかる。
で、オリジナルのフィルムをそのまま渡すのだけれど、返却してもらうのを忘れたり、編集や印刷作業の過程で消えてしまったり……。

あの写真、今頃どうなってるんだろうな〜
あの編集者、今頃なにやってんだろうな〜
  1. 2008/01/28(月) 12:03:07|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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70年代の貧乏旅行

アフガニスタン

このところアフガニスタンで爆破事件が相次いでいる。
テロの背景は専門外のボクが書くまでもないが、ニュースを見る度に心が痛い。

アフガンの入国ビザ

昔のパスポートをチェックしたら、1977年の11月末にアフガニスタンに入国している。
今から30年ほど前……25歳のときだった。

イランのマシャッドから国境行きのオンボロバスに揺られて凍てつくヘラートに辿り着き、そのままビザが切れるギリギリまで居座った。

凍てつく街角に漂うカバブの煙り……
ハシッシ、ハシ〜ッシ……と通りすがりに囁く大麻樹脂売りのオニーサン……
モスクから流れる大音量のコーラン……

……宛もなく路地裏を歩き回り、そしてニコンFのシャッターを切った。
当時のレンズは35ミリ1本だけ。
フィルムはコダクロームだった。

30年前のスナップショット。
なんてことのない写真だけれど、ボクにとっては通り過ぎた時間そのもの……。
  1. 2008/01/17(木) 10:36:43|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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いい笑顔だ〜

インドのザルオヤジ

子供のころ「ザルをかぶると背が伸びない!」なんて言われたけれど、カルカッタの路上で野菜を売っていたこのオニーサンは、どう少なく見積もっても180センチはあった。

オニーサンがただでくれた腐りかけのモンキーバナナ。
コレラになったらどうしよう……なんて思いながらも、せっかくの親切を無にしちゃ申し訳ないと、パクリ。
……考えてみれば、当時は蠅の群がっている露天の揚げ物なんぞを平気で食べていた。
同じ人間、インド人が平気なら日本人だって平気だ……なんて思っていたけれど、今になって冷静に考えると、どうも免疫力が違うような気がしないでもない。
  1. 2007/12/10(月) 11:13:37|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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冬のカブール

アフガニスタン

アフガニスタンでは、相変わらず反政府組織タリバンの紛争が続いている。
(タリバンの行為をテロと断定するのは個人的に避けたいと思う)
今年も130件以上の爆破行為があり、今月6日にも100人を越す犠牲者がでた。

日本外務省は7月25日に「退避の勧告」を発令し、いまもその状態が続いている。

1970年代当時、アフガニスタンのヘラートやカブールはネパールのカトマンズと並んで、貧乏旅行者のオアシス的場所だった。
1日200円。寝袋に潜り込み、暖房用の薪を買わなければ150円で過ごすこともできた。
人々の暮らしは貧しかったが、モスク周辺のバザールはそれなりに活気があった。

ときには、古びた楽器の値段交渉で2日間も費やすことがあった。
丸一日、チャイ(茶)をすすりながら暇なオヤジたちとだべったり、銀細工職人やブリキ職人の手元を眺めたり……なんてこともあった。
コーランの教えを説かれたこともあった。

当時を懐かしむつもりはない。
時代とともに、人々の暮らしや考え方が変わって当然と思う。
だがしかし、当時の「なにもない日常」こそが、ほんとは平和だったのでは……そう思う。

大国の思惑なんてどうでもいい。
まずは、普通の暮らしを彼ら彼女らに戻したい……切にそう願う。
  1. 2007/11/27(火) 09:26:11|
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バクシーシ

カルカッタ

1970年代初頭のカルカッタ。
当時は「混沌」と「貧困」がインドの形容詞だったような気がする。
駅の待合室、路地裏、ありとあらゆる路上……いつでもどこでも「バクシシ、バクシーシ」と、無気力で疲れきったような、つぶやきにも似た「お恵みを…」の声を聞かされた。

あれから30年あまり……いまや世界に冠たるIT大国。
がしかし、はたして本当なのだろうか。
ただ単に、貧しい者は見捨てられ、社会格差が広がっただけなのではないだろうか?
  1. 2007/11/26(月) 12:23:46|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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貧乏列車

デリー駅

貧乏旅行時代の足はもっぱらバスか夜行列車だった。
ヨーロッパの列車は快適で、ユーレイルパスがあれば1等が乗り放題。
時にはホテル代わりに使うこともあった。
一方、インドの列車旅は過酷だった。
1等や2等ならさほど問題ないのだが、3等以下ともなると半端じゃない。
ニワトリを抱えたおばさんや家財道具を抱えた一家と一緒に硬い木の座席にギューギュー詰めになり、そのなんとも言えない臭いと喧噪に半ば意識もうろうとしながら、それでいて自分の荷物を必死に抱えてなくちゃいけない。
なにせ、窓から無賃乗車してくるのもあたりまえ。
通路は身動きとれない状態で、その場でおばさんがしゃがみ込んでおしっこ……なんてこともあった。

そうそう、当時は家にトイレが無いのがあたりまえ。
鉄道の線路脇はほとんど公衆トイレ状態で、明け方など線路脇で水差し片手にしゃがみ込んでいるのが日常的な光景だった。

あのインドが今やIT大国とは……

写真は30年程前のオールドデリー駅
  1. 2007/09/18(火) 15:11:15|
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懐かしのセーヌ

シトロエン

写真家として現役だったころ……というべきか、地球放浪者として現役だったころ、ヨーロッパ旅行の拠点はパリだった。
パリが好きだった訳じゃない。
たまたま格安航空券の行き先がパリだったことと、南ヨーロッパに向かう鉄道を利用するには好都合だったからだ。
……そうそう、出稼ぎ労働者相手の安宿と大学の学食も貧乏旅行者には魅力だった。

いつも数日しか滞在しないのだけれど、一度だけ仕事の都合で3週間ほど足止めを食い、セーヌ川で釣り糸をたれたことがある。
エサは水草で、釣れたのはウグイのようなコイ科の魚だった。
「セーヌの釣りびとヨナス」という本によると、パリの人たちは好んで食べるそうだが、ボクには犬の糞やらネズミの死骸が漂うセーヌの魚を食する勇気がなかった。

考えてみれば、セーヌで釣り糸を垂れることも、セーヌの魚を食する機会もあれから一度もない。
今思えば、惜しいことをしたような気がしないでもない……。
  1. 2007/08/28(火) 14:51:06|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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貴重な一枚?

イスラム家族

パキスタンの女性観光相が辞表を提出した。
その理由は、スカイダイビングを体験した際、無事着地した喜びで教官と抱き合った写真が地元メディアに掲載され、イスラム原理主義者たちに「イスラムの道徳に反し、恥ずべき行為だ」と、厳しく非難されたからだ。

考えてみれば、1970年代の貧乏旅行当時、イスラム圏で女性に出会うことは滅多になかった。
店番してるのも男。
夕食の買い出しも男。
食堂で料理を作るもの、皿を片付けるのも男。
ときたま女性を見かけても、ベールに包まれ、その表情を伺い知ることはできなかった。

そう考えると、アフガニスタンの古都ヘラートで撮ったこのスナップ、貴重だよね。
  1. 2007/05/24(木) 13:36:59|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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一枚の顔写真

チトラルの爺

1970年代の貧乏旅行者当時、ボクは顔写真に凝っていた。

そもそも写真を撮られるのが嫌いな自分が写真家になったのも変だが、その、写真家が偶像崇拝を禁じているイスラム世界を回って、本来タブーであるはずの記念写真を撮らせてもらう……これも、かなり変だ。

この写真はアフガニスタンの国境に近いパキスタンの山奥、チトラルで撮影したもの。
羊の番をしていた老人に「写真を撮らせて」とお願いした。
老人はいそいそと黒いテントに潜り込み、鏡に向かって髭を整えて真新しいチトラル帽子を頭にのせ、そしておもむろに「写真を撮られるのは生まれて初めてだ……魂は抜かれないのか……」と、言った。

あの、照れたような微笑み……フィルム以上に、ボクの脳裏に深く刻まれている。

……70年代……
いい時代に、いい旅したな〜 と、つくずく思う。
  1. 2007/05/23(水) 08:33:15|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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南京虫(インド)

ガンガ

サンフランシスコを中心にアメリカで南京虫が大発生しているらしい。

70年代、なんとなく好きになれないなどと言いながら、何度も通ったインドで一番悩まされたのが南京虫だった。
当時、貧乏旅行者の泊まる宿は、木の枠に麻縄を尻が抜けないほどに荒く張ったベッドが普通だった。
旅行者は、その上に自前の寝袋を敷いて寝るのである。
ところが、安宿が満杯で、しょうがなく駅前などの簡易宿泊所に泊まると、ご丁寧にベッドの上に薄いマットが敷かれ、枕まであったりする。

これがいけない。
「マットに白いシーツだ!」などと浮かれて横になると、真夜中になってひどい事になる。
体温と血の臭いを嗅ぎ付けた南京虫やらダニが、マットやら枕の中から這い出し、脇の下やら股間やら、ありとあらゆる無防備な場所をひっそりと齧るのである。
「なんか、おかしいな〜」などと、気付いたときには後のまつり……である。

そんな訳で、当時のボクはベッドはご遠慮願い、床に直接寝ていた。
それはそれで、ひんやりして実に快適だった……。

写真はガンガ(ガンジス河)の漁師
  1. 2007/04/10(火) 15:22:17|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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色褪せたフィルム

トルコ路行人

1972年の沖縄返還密約事件が門前払いされた。
米国の公文書でも、元日本政府担当者の証言でも密約の事実が認められている。
なのに、政府はいまだに否定し続け、そして、今回の東京地裁の「時効」判断。
元毎日新聞記者西山太吉さんの「司法の独立なんてきれいごとだ」という言葉が、つくずく身にしみる。

色のあせた一枚のスナップ。
トルコで撮ったなんてことのない写真だけれど、シャッターを押した瞬間に、「これは決まった!」と、手応えを感じた事を覚えている。
当時のカメラは何から何までマニュアルのニコンF。
フィルムはコダクロームだった。
……押し入れに放り込まれて30年ほど。
色は失われてしまったけれど、あの一瞬はボクの脳裏で鮮明なままだ……。
  1. 2007/03/29(木) 12:37:19|
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なにげない写真

ポルトガル

ポルトガルの演歌「ファド」にはまったことがある。
ボクのお気に入りはオポルトの夜中の10時から店を開けるファドだった。
怪しげな路地裏のうらびれたファドだったけれど、一杯80円ほどのグラスワインを飲みながら川エビの唐揚げを摘むのが実に贅沢に思われたものだ。
それにしても、ギターラの悲しげな音色と、切々と歌いあげる女性歌手のその枯れた声に、なんど、涙しそうになったことか……。

写真はオポルト郊外のワイン畑が連なる村でのワンショット。
なんてこと無い写真だけれど、その何気なさがちょっとお気に入り。
  1. 2007/02/06(火) 11:43:24|
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アフガニスタンの大量殺戮

アフガニスタン

2007年1月11日。アフガニスタン東部でNATO主導の国際治安支援部隊と政府軍が、旧タリバンの武装勢力約150人を殺害した。
2001年のタリバン政権崩壊後最大規模の犠牲者だ。
いったい誰のため、なんのための犠牲者なのだろうか?

30年前のアフガニスタンは、けっして豊かではなかったかもしれない。
一部勢力が権力を握り、民主的ではなかったかもしれない。
女性の権利も認められていなかったかもしれない。
だが、少なくとも旅行者は自由に旅することができた。
人々も銃弾に怯えることなく、自由にバザールで水パイプなど吸えた。

ヘラートの凍てつく路上でわずかばかりの薪を売っていたこの人は当時52歳だった。
今も存命なら82歳。
彼の辿った82年の歴史は、どんなだったのだろうか……。
  1. 2007/01/16(火) 16:12:03|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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旅の終わり

アボッタバード

自分は通り過ぎるだけの旅人だって分かっていながら、一週間ほど滞在すると、ちょっとした愛情や友情が芽生え、あげく、なんとなく切ない別れになったりする。
ボクは、この別れの瞬間というのが、実に苦手だ。
だから、なるべく個人的な関わりを避けよう、勝手に感情移入するのはやめよう……なんて、自分に言い聞かせている。
なのに、それができない。
で、いつもいつも、オンボロバスの窓からウルウル……

1979年のとある日
パキスタン北西部アボッタバード
  1. 2007/01/04(木) 11:04:15|
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1978年のあの日

1978年のあの日

29年前の今日、ボクはトルコのイスタンブールに独り佇んでいた。
道行く人に年末年始の慌ただしさや華やかさはなく、いつものように老女が鳩のエサを売り、靴磨きの少年が冷たい風に背中をまるめていた。

今年も一年、気まぐれなブログにお付き合い、ありがとうございました。
来年もまた、めげず懲りずにおつきあい、よろしくお願いいたします。
では、皆様にとって、来年もまた良い年でありますように!!
  1. 2006/12/30(土) 19:59:45|
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なつかしい臭い

ペシャワール揚げ物屋

旅をしていると様々な臭いにであう。
その国ごとに、その街ごとに、特有の臭いがあるような気がする。

パキスタンとアフガニスタンの国境の街ペシャワールにも、甘ったるさとスパイスと獣じみた汗の臭いが入り交じった、独特の臭いがあった。
ボクは、その臭いがけっして嫌いじゃない。いや、むしろ、懐かしく思うほどだ。
それにしても、このおっちゃんが揚げていた、ハエをも寄せ付けない、ヌードルのようなオレンジ色の代物は何だったんだろうか?
いまでも、勇気をだして食べなかったことを後悔している……。
  1. 2006/11/28(火) 13:43:28|
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深夜特急

ゴールデンテンプル

古本屋で沢木耕太郎著「深夜特急」1〜6巻をみつけ、ついつい買ってしまった。
20年ほど前に一度読んだことがあるのだが、全巻揃いで630円という値段に、思わず手が出てしまったのである。
ちなみに、この本をご存じない方もいるかと思う。
簡単に解説すれば、1970年代の初め、26歳の青年が香港マカオを起点にインドやトルコを経て南ヨーロッパへと放浪したときの様々な出来事を綴ったノンフィクション作品。

「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。(「深夜特急」 第一章/新潮文庫)

同時期、ほとんど同じような地域を、似たような気持ちで旅をしたボクにとって、この本は共感を覚えるというより、自分たちの意味のない行動にお墨付きを与えてくれたようで、感謝したものだ……。

この写真は、第3章、インド編の文中にも出てくるシーク教の総本山ゴールデンテンプル。10年ほど前に宗教テロでかなり破壊されたと記憶しているが、今はどうなってることやら……。
……ちなみに、今でもインド人はみんなターバンを巻いていると思っている人が多いようだが、ターバンを巻いているのはごく一部のシーク教徒だけ。念のため……
  1. 2006/11/22(水) 14:48:02|
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フィルムが貴重だった

ローマの街角

70年代の旅は角のすり減ったニコンFがお供だった。
レンズは35mm/F2をはめ殺し。
フィルムはヨーロッパではアグファ、中央アジアではコダクロームを使うことが多かった。
あの当時は、メーカー、そして製造番号によって、色がまるで違ったものだ。
また、当時は国によってフィルムの持ち込み制限があり、これぞ! と思う時しかシャッターを切れなかった。

入管でザックの中身を全部ぶちまけられ、1本1本数えられたこともあった。
カメラの裏蓋を開けさせられたり、フィルムを没収されそうになった事もあった。
兵舎に連行されたり、警察に職務質問され、なにやら書面にサインさせられたことも何度かある。
いまや、誰でも簡単に精密な衛星写真が手に入る時代。
橋や道路が軍事機密だ、なんて言ったら笑うかもしれないが、当時は飛行場や国境帯は言うに及ばず、橋や鉄道、トンネル、港だども撮影禁止されている国も少なくなかったのだ……。

ローマでのワンショット。
この色……いかにも、アアグファだな〜
  1. 2006/11/20(月) 10:39:25|
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カレンダーのデザイン募集

ナラーン遊牧

最近、会ったばかりの人の名前を忘れてしまう。先日もビデオカメラの前で相手の名前が思い出せず、3度もダメ出しをしてしまった。相手にも申し訳ないが、本人的にもかなりショックである……。
……かと思えば、30年以上前に一度だけ会った人の名前を鮮明に覚えている事もある。
チョルタの兄のゴルゾマン。独身でちょっとホモっ毛があってオシャレで両親思い……。名前だけじゃなく、彼の生い立ちだって話せるほど。ほんと、人間の記憶能力って不思議である。

あと数日で急ぎの原稿も終わり。そろそろ2007年のカレンダーでも作ろうかと思っています。テーマは「釣り」「自然」「70年代の旅」……どんなのが良いですかね?
*お金がないので、もうひとつのサイト「世界つり紀行」にアップし、勝手にダウンロードしてもらおうかと……。
*テーマのリクエストや玉のデザインその他アイデアがあれば、コメントしてください!
  1. 2006/09/07(木) 11:09:02|
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若いもんには負けん!?

カラコルム

オヤジ臭い言い方だけれど、「まだまだ若いもんには負けん!」というのが、今回の山歩きで得た実感だ。
確かに20キロの荷物は厳かった。若い頃は……なんて思わなくもない。だが、いったん大鳥小屋まで登り、再度、仲間をむかえに途中まで下山する余力もあった。おまけに、料理担当もやってのけた。まだまだ「現役」である。

……実のところ、出発までは自信がなかった。心臓に持病を抱えているし、山歩きも5年ほどご無沙汰だったからだ。でも、人間というのは不思議なもので、自転車の乗り方を忘れないのと同じく、トレッキングシューズの紐を締め、ザックを背負って歩き始めると、身体が自然に山歩きのコツのようなものを思い出し、しまいには自然の中を歩く事の快感すら呼び覚ましてくれる。

20代は遊牧民と共にカラコルム各地を旅していた。4千メートルの峠も何のその。一日20キロや30キロ平気で歩いたものだ。思えば、あのときに旅しておいてよかったと思う。きっと今なら体力的にかなり厳しかったはずだ。
旅を終えていつも思うのだけれど、旅に「次」は無いような気がする。多少無理してでも「行けるときに行く!」それが肝心だと……。

ランキングのポチポチありがとうございます。おかげで、かなり回復しました!!
  1. 2006/09/06(水) 14:13:42|
  2. 1970年代の貧乏旅行
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シャッターを押す満足度

メシェッド

むかし、仕事以外ではこんな写真ばっかり撮っていた。今でも数万枚が誰の目に触れる事無く、押し入れで寝ている。
当時のボクは、コマーシャル写真家としてスタジオでモデルや商品ばかり撮っていた。駆け出しモデルの表情が気に入らず、ポスター1枚のためにハッセルブラッド500CMのバッテリーが加熱するほどシャッターを押す事も有れば、オンザロックの氷の形とグラスの表面の水滴が気に入らず、高価なシングルモルトを5本も無駄にした事もある。
それなりに収入はあった。助手もいて、四谷に事務所もあって、車も英国車で、行きつけの飲み屋も麻布や青山だった。でも、まるで満たされていなかった。だから、時間が許す限り、ニコンFとコダクロームをザックに放り込んで旅にでた。で、結果的に、今は自転車が日常の足になり、麻布なんぞはとんとご無沙汰。だが、かなり満足している。

日没後のマシャッド(イラン)は凍えていた。コーランの大音響で目覚めたボクは、いつものようにナーンを齧りつつドロッとしたトルココーヒーを啜った。そして、あてもなく路地裏をうろつき、水たまりに残った氷を蹴って遊ぶ子供たちに向かってシャッターを切った……
なぜだか、その日1枚目の写真だった事を今でも鮮明に覚えている。
  1. 2006/08/25(金) 09:12:10|
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プロフィール

残間正之

Author:残間正之
北海道生まれの典型的AB型。
辺境地の旅とフライフィッシング、そして雑種犬モボ君を愛するチョイ悪オヤジ。
NHK「世界つり紀行」に出演したほか,アウトドア関連雑誌の連載やFM横浜「ザバ〜ン」の釣り情報などを担当。
主な著書に「だからロッドを抱えて旅に出る」「フライフィッシング・ハイ!」などがある。
*タイトルの「残間通信」をクリックするとトップページに飛べます。

追伸
ホームページAnglers Garlly「世界釣り紀行」(リンクから飛べます)もよろしく!

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管理釣り場のフライフィッシング101のコツ
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