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鉄道の旅

サンタフェ鉄道

このところ列車の旅にとんとご無沙汰。

35年前、3ヶ月間有効のユーレールパスを持ってヨーロッパを旅した。
(ユーレールパス=1等席を含めた列車の乗り放題チケット)
夕方になるとさして目的地も決めずに列車に飛び乗り、ザッグを抱えて睡眠。
車窓に朝日が差し込むと、聞き覚えもない駅のホームに降り立って、空きっ腹をなだめつつ、これまた宛てもなく町中散策……。

あの時代、今のボクにとってどんな意味があったのだろうか……。

写真はヨーロッパの鉄道ではなく、北米のサンタフェ鉄道です。悪しからず!

コパカバーナのビーチにて

コパカバーナ

南米リオ・デジャネイロ郊外コパカバーナ。

布地を極端にセーブしたビキニの男女。
目もくらむような強い日差しと焼け付くような砂浜……。

日傘にTシャツをぶら下げ、日がなビーチをとぼとぼ……。
本人が何をどう考えているのが知る由もないが、ちょっとうらやましいような……。

フラッグストップ

アムトラック

フラッグストップ(Flag stop!)

その昔、アメリカの鉄道の多くは荒野のど真ん中でも乗り降り自由だったそうだ。
運行時間が……とか、効率が……なんて面倒なことも言わず、おおらかな時代だったのだと思う。

数年前までアラスカ鉄道の一部区間で可能だったはずだけれど、今はどうなってることやら……。

窓の奥には

窓

なんともこだわりの感じられる窓だけれど、
この奥にはどんな暮らしがあるんだろうか……。

写真は米国ニューメキシコでのスナップ

平穏な日常

カブール

今でもときたま路地裏から漂ってくるハシッシの強い香りが懐かしい……。

アフガニスタンの首都カブール。
毛布をすっぽりかぶり、日溜まりにうずくまって日がな一日……。

1970年代始めまでのアフガニスタンは貧しくとも平穏だった。
もう、こんな時間は取り戻せないのだろうか……。

B級モーテル

郊外のモーテル

米国の田舎町を旅しているとB級映画に登場しそうなモーテルしかみつからないことがある。

バーはあるだろうか……
シャワーのお湯は出るだろうか……
ベッドのスプリングは……
オーナーがでっぷりした変態オヤジだったら……
壁にシミが飛び散っていたら……
エアコンの音は……

NO! メッセージ

出窓

写真にはメッセージ性が無くちゃいけない……。
などと日頃言っているのに、この写真にはメッセージ性などまるで無し。

ま、なんにも意味が無いのもひとつのメッセージ……かもね。

写真はニューメキシコの教会の一角

日常のあれこれは「ゆるゆる北国ぐらし」http://zamma123.naturum.ne.jp/をどうぞ!

ルート66

route66

いつだったかTVCMでこれとそっくりのシーンを見たことがある。
たしか某大手ハンバーガーチェーンのテキサスバーガーだったと思う。

ヒビ割れ、穴ぼこだらけのアスファルト道路。
ネオンの消えたガスステーション。
錆び付き、大地に根を下ろしたピックアップトラック……。

この町もオアシスのひと滴のように瞬いた時代があったと思う。
忘れられたのか、見捨てられたのか、取り残されたのか、それとも……

写真は旧国道ルート66沿線のとある町

流行遅れ

モルディブ

「地球上に残された最後の楽園」「ロビンソンクルーソーの島々」「インド洋の首飾り」「……」
モルディブ共和国の形容詞は様々あれど、どれも物足りないような気がする。

その昔、清涼飲料水や観光パンフレットに引っ張りだこだった……。
でも、最近、こんな写真は見向きもされない。
飽きられたのか、誰でも行ける様になったからか、現実味が無いからか……それとも疲れてるからか……。

ニコンF3
Fisheye-NIKKOR 16mm/F2.8
FUJICHROME Velvia50

イスタンブール

イスタンブール

30分、1時間、2時間……。
やっと子供の手を引いた女性がコインを一枚、ひと握りの鳩のエサを買った。

ボスボラス海峡を挟んでアジアとヨーロッパが接するトルコ共和国最大の都市イスタンブル(イスタンブール)。

1970年代初め、イスタンブルは貧乏旅行者の情報交換の要所だった。
ボクも例に漏れず貧乏旅行者のたむろする一角で中央アジアからの旅人をつかまえ、行く先の治安状況や物価、そして安宿等の情報を聞き出し、長旅に備えた……。

写真はブルーモスクの広場。
(カメラはニコンF/35mmF2、フィルムはコダクローム?)

日々のあれこれは「ゆるゆる北国ぐらし」でどうぞ!

SANTA FE SOUTHERN RAILWAY

客車

この扉の中ではどんなドラマが……
この窓の外にはどんな世界が……

写真は米国「SANTA FE SOUTHERN RAILWAY」の客車

今日の寝床は…

ルート66

ボクの旅は、いつも気まぐれ。
夕闇が迫り、さて、どこに泊まろうか……と途方にくれることも。

シカゴとロサンゼルスを結ぶ旧道「ルート66」を旅していた時のワンショット。
沈む太陽と遠ざかる列車のシルエットが妙に心に染みた……。

セルラー監獄

セルラー監獄1

北海道移転に備えて少しずつ写真を整理している。
今日は自分でも忘れていた写真がみつかった。

インド東部のコルカタの沖1,000キロに点在するアンダマン諸島。
その地で25年ほど前に撮影したセルラー監獄(刑務所)跡の写真だ。
例によって、日の目を見る事のなかった一枚。

17世紀から19世紀の中頃までアンダマン諸島はイギリスによって支配され、イギリスの植民地支配に立ち向かう周辺諸国やインド人政治犯の流刑地だった。
そして、その象徴的な建物がセルラー監獄。
当時はカメラの持ち込み禁止。
自動小銃を抱えた警備員が鋭い視線を光らせていた。

考えてみれば、当時は恐いもの知らずというか、ちょっと無謀だった……。

セルラー監獄跡

熱帯雨林のたくましい植物たちが根を伸ばし絡みつく。
歴史から置き去りにされた、いや、できれば抹殺したい過去もあると思う。
今じゃ、この写真も貴重な証拠資料かも……。

贅沢な旅

キンバリー高原

20代から40代にかけて年間200日以上旅の空だった。
キャンプや野宿が100日以上なんてことも当たり前だった。

オーストラリア北西部キンバリー高原。
荷台にウイスキーと寝袋とタックルとカメラを積み込んでサバンナを彷徨った。

ワイルドハンター、ブルースのキャンプはシンプルそのもの。
テントもランタンもバーナもトイレットペーパーもテーブルも椅子もタープも無い。
あるのは分厚い寝袋とフライパンとブリキのコップと皿とナイフとスコップ……それだけ。

夜明けとともにペイパーバックツリーの小枝を集め、カンガルー肉のソーセージと目玉焼き、そして、空き缶で煮込んだコーヒー……。
昼間、無邪気な鉄砲魚やバラマンディと戯れつつ、クロコダイルの目を盗んで水浴び。
夜、ワイルドドックの遠吠えをに耳を澄ましつつ、南十字星の下、揺れる炎を眺めつつウイスキーをチビリチビリ……。

考えてみれば、ここ数年、こんな旅をしていない。
「温泉付きで、インターネットが……」などと、かなり贅沢になった。
でも、本当に贅沢で豊かな旅や暮らしって、便利なことや物質的に満たされることと、ある意味では反比例するのではなかろうか……。

ワントーク

パプアニューギニア

パプアニューギニアを旅するときには、あれこれしきたりがある。
「ワントーク」……人口600万に対して、800以上もの言語があるお国柄。
集落や部族ごとに言語や習慣、伝統が異なり、部族間の争いも少なくない。
そのため、たとえ旅行者であっても境界線を越えるたびに酋長や族長に貢ぎ物(ツナやコンビーフなどの缶詰が喜ばれる)を持って挨拶するのが無用なトラブルを避けるための常識。
とはいえ、標識がある訳じゃなし、不用意に境界線を越えてしまい、どこからともなく弓矢や石が飛んできて大慌て……なんてこともある。

ソロモン海に浮かぶ小さな島。
高床式の家が20軒ほど軒を連ね、丸々と太った豚の親子が半分砂に埋もれていた。
子供たちは異国からの侵入者に興味津々。
カメラのレンズを向けると「パン、パパ~ン」

ま、子供の場合は無邪気で可愛いもの。
だが、紛争地では本物の自動小銃を向けられることも少なくない。
もちろん、そんなときはカメラを向けるどころか、とりあえずホールドアップ。
考えてみれば、撮影済みのフィルムを何本没収されたことか……。

サンクトペテルブルグにて

ウォッカ

今、サンクトペテルブルグは早朝の5時。
いつもは安宿専門なのでネットなど使えないのだけれど……今回は無線LANがパッチリ。
で、ちょっと嬉しくなって中間報告。

……といっても、まだパイク釣り大会が開催される湖が発表されていないので、釣りに関して報告する事は何もなし。

そうそう、昨夜、レストランでウオッカを注文した。
日本なら、当たり前のように「シングルですか?」「チェイサーは……」「氷は……」なんて聞かれる。
ここじゃ、ナニも聞かない。
ピキパキに冷えたショットグラスに、ときには人を饒舌にしたり、陽気にしたり、いいかげんにしたり、瞬間記憶喪失にしたりする魔法の液体が満たされ、木のテーブルにトンと置かれる……

オールドデリー1976年

オールドデリー

1976年2月……当時のインドと言えば「混沌」と「貧困」が代名詞だった。
路上には赤子を抱いた物乞いの人たちが溢れ、いたるところから「サーブ・パイサ、バクシーシ」と哀れみを誘う声がまとわりついてきた。
その一方で、英語を得意げに話す特権階級は最新ファッションに身を包み、路上生活者などまるで視界に入らぬかのように街中を闊歩していた。

当時はカースト制度やジャーティによる差別や貧富の差があからさまだった。
(カースト制度=古くからの身分制度でバラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)、アウトカースト(不可触民)に区分されている)
(ジャーティ=職業的身分制度とも言えるもので、2000~3000の職業的な世襲制度で結婚も制限されている)

ここ15年ほどインドにはご無沙汰。
今ではGDP伸び率が9パーセントに達しているそうだが、失礼ながらボクにはあの国がたかだた20年や30年で変わるとは思えない。

その昔、ニコンF片手に歩き回った裏路地を再訪してみたいものだ……。

魚市場ウォッチング~

ベレンの市場

旅先で一番気になるのは地元の魚市場。
口の型、目の位置、歯並び、胸ビレや尾ビレの大小……実に様々で、「これは肉食だな」とか「こいつは菜食主義者かも」、「お、こいつは陰湿な待ち伏せタイプだろうな~」とか「こいつは間違いなく猪突猛進型だ!」なんて具合に、あれこれ想像するのは実に楽しい。

この写真はアマゾン川河口の街ベレンの魚市場。
アマゾン川の河口と言っても川幅が300~500キロもあり、雨期と乾期では水位が20メートル以上も変化し、「どこまでが川で、どこからが海なの!?」なんて議論そのものが空しくなる。
おまけに、河口から1,000キロも上流にイルカやエイが悠然と泳いでいる訳で、ここに並んでいる魚が「淡水魚なのか海水魚なのか!?」なんてことを考えるだけで気が遠くなる。

それにしても、日中の気温は40度を越え、湿度も半端じゃない。
おまけに船に冷凍設備なんてない。
塩漬けとはいえ、何時間も炎天下に曝された魚を食べるにはちょっと勇気が……。

ちなみに、2メートルほどのターポンも並んでました!

おおらかな時代

イスタンブール

あのころは1日1ドル(当時は360円)で旅ができた。
移動は窓ガラスが外れそうなオンボロバス……
泊まりは見知らぬ貧乏旅行者と一緒の木賃宿……
食事は蠅を追い払いながらの屋台……

ポケットにはパスポートと1年間オープンの航空券。
ただただ、カメラ片手に路地裏をぶらついた。
明日の予定なんて、ナニも決めてなかった。
毎日が行き当たりばったり。
でも、不思議と不安や空腹を感じなかった……。

アジアとヨーロッパの交差点イスタンブール。
ボスボラス海峡に架かるガラタ橋からアジを釣り、わずかな旅費を稼いだ……。
あれから三十数年。
海外旅行も身近になり、どこに行こうが携帯電話だって繋がる。
けれど、旅先での偶然や驚き、そして地元との触れ合いが減っているような気がする。
考えてみれば、貧乏旅行者にとってはおおらかな時代だった……。

オ~レ!

スペイン01

10年ほど前、サラゴザからブルゴス、ボンフェラダを経てサンチャゴ・デ・コンポステラに至るスペインの巡礼路を歩いた。
ユネスコの歴史的建造物に指定されている教会や古城などの写真が数千枚、例のごとくほこりをかぶっている。

はっきり言って、石の建造物ばかりで面白みはまるでないのだけれど、このブログはボクのポートフォリオでもあるので、この際、ちょっとだけ掲載しようと思う。
(興味があれば激安で貸し出しますよ~!!)

スペイン02

最初っから教会の内部だけじゃ退屈だと思うので、今回はフラメンコの美女を!!

スペイン03

寒中お見舞い!

モルジブのビーチとヤシの木

このところ日本列島は寒波に振るえている。
我が家はスローライフというか、貧乏暮らしなので、暖房は小さな電気ストーブだけ。
その電気ストーブも一等席は愛犬モボ君に占拠され、ボクまで暖かさが伝わってこない。
かくして、部屋の中でフリースのジャケットを着込み、地球環境に優しい暮らしって、それなりに我慢も必要なんだよね~ などと思いつつ本を読んだりパソコンに向かったり……、

バブリーな時代、こんなパノラマ写真が流行った。
抜けるような青い空とコバルトブルーの海、そしてココヤシがあればカレンダーやジグソーパズルの素材としてフォトライブラリーでそこそこ需要があった。

フロリダのイメージ

ボクも流行に乗り遅れまいと、重いパノラマカメラを担いでモルジブやモーリシャス、そして南太平洋の島々を巡った。
だが、いつも数日で飽きてしまった。
「こんな風景って、誰が撮っても同じ……」そんな思いが脳裏から離れなかったからだ。

モルジブのビーチ

今になって考えると、写真家によって構図も違うし、表現する色調も違う。
まして、一見同じ風景に見えても、光や影や雲など、その一瞬は二度と再現できない……。

ま、なにはともあれ皆々様に南の島の気分をお届けできればいいのだけれど……

70年代の貧乏旅行

アフガニスタン

このところアフガニスタンで爆破事件が相次いでいる。
テロの背景は専門外のボクが書くまでもないが、ニュースを見る度に心が痛い。

アフガンの入国ビザ

昔のパスポートをチェックしたら、1977年の11月末にアフガニスタンに入国している。
今から30年ほど前……25歳のときだった。

イランのマシャッドから国境行きのオンボロバスに揺られて凍てつくヘラートに辿り着き、そのままビザが切れるギリギリまで居座った。

凍てつく街角に漂うカバブの煙り……
ハシッシ、ハシ~ッシ……と通りすがりに囁く大麻樹脂売りのオニーサン……
モスクから流れる大音量のコーラン……

……宛もなく路地裏を歩き回り、そしてニコンFのシャッターを切った。
当時のレンズは35ミリ1本だけ。
フィルムはコダクロームだった。

30年前のスナップショット。
なんてことのない写真だけれど、ボクにとっては通り過ぎた時間そのもの……。

ビートルナッツ

パプアニューギニア市場

辺境地を旅する楽しみのひとつに市場ウォッチングがある。
食べたことのない食材は無論のこと、珍しい魚など発見すると、かなり得した気分になる。

この市場はパプアニューギニアのローカル飛行場でのスナップ。
青い実はビートルナッツと呼ばれる噛みタバコのようなもので、ココヤシを極端に小さくしたような感じで、硬い皮をむき、マスタードの実に石灰を付け、一緒に咬む。

その昔、パプアニューギニアは人食い人種の住む島として恐れられたが、確かにビートルナッツを咬んでいると口の中が真っ赤になり、まるで吸血鬼状態。
おまけに、その唾液をペッペッと所かまわず吐くものだから、路上はまるで殺人現場のようなありさま。
ちなみに、頭がボーッとしたり、口の中が痺れた感じになるが幻覚作用は無いので、その方面に関心のある方々、日本にひっそり持ち込んでも無駄ですよ!!

冬のカブール

アフガニスタン

アフガニスタンでは、相変わらず反政府組織タリバンの紛争が続いている。
(タリバンの行為をテロと断定するのは個人的に避けたいと思う)
今年も130件以上の爆破行為があり、今月6日にも100人を越す犠牲者がでた。

日本外務省は7月25日に「退避の勧告」を発令し、いまもその状態が続いている。

1970年代当時、アフガニスタンのヘラートやカブールはネパールのカトマンズと並んで、貧乏旅行者のオアシス的場所だった。
1日200円。寝袋に潜り込み、暖房用の薪を買わなければ150円で過ごすこともできた。
人々の暮らしは貧しかったが、モスク周辺のバザールはそれなりに活気があった。

ときには、古びた楽器の値段交渉で2日間も費やすことがあった。
丸一日、チャイ(茶)をすすりながら暇なオヤジたちとだべったり、銀細工職人やブリキ職人の手元を眺めたり……なんてこともあった。
コーランの教えを説かれたこともあった。

当時を懐かしむつもりはない。
時代とともに、人々の暮らしや考え方が変わって当然と思う。
だがしかし、当時の「なにもない日常」こそが、ほんとは平和だったのでは……そう思う。

大国の思惑なんてどうでもいい。
まずは、普通の暮らしを彼ら彼女らに戻したい……切にそう願う。

バクシーシ

カルカッタ

1970年代初頭のカルカッタ。

当時は「混沌」と「貧困」がインドの形容詞だったような気がする。
駅の待合室、路地裏、ありとあらゆる路上……いつでもどこでも「バクシシ、バクシーシ」と、無気力で疲れきったような、つぶやきにも似た「お恵みを…」の声を聞かされた。

あれから30年あまり……いまや世界に冠たるIT大国。
がしかし、はたして本当なのだろうか。
ただ単に、貧しい者は見捨てられ、社会格差が広がっただけなのではないだろうか?
プロフィール

残間正之

Author:残間正之
北海道生まれの典型的AB型。辺境地の旅とフライフィッシング、そして雑種犬モボ君を愛するチョイ悪オヤジ。
カメラとロッドを抱えて世界69カ国を駆け回り、NHK「世界つり紀行」やスカパーの「旅チャンネル」や「釣りビジョン」に出演したほか,アウトドア関連雑誌の連載やFM横浜「ザバ~ン」の釣り情報などを担当。
主な著書に「だからロッドを抱えて旅に出る」「世界釣魚放浪記」「フライフィッシング・ハイ!」などがある。
追伸
ホームページ「Anglers Gallery」
ブログ「ゆるゆる北国暮らし」もよろしく。

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